
「北木石」は「きたぎいし」と読みます。岡山県笠岡市北木島町(北木島)から産出される、花崗岩の総称です。白色を主とした、中粒の黒雲母花崗岩で、「中目」、「瀬戸白」、「瀬戸赤」、「サビ石」の4種類がありますが、「中目」が最も多く、現在採掘を継続しているのは、「中目」と「瀬戸赤」の2種類になります。
墓石、外柵材、どちらにも適しています。模様が安定しているので、大材もとれます。
北木島は、笠岡諸島の中で最大の島で、古くから「北木御影石」で知られる「石の島」として有名であり、江戸初期に大阪城を修築する際には、大量の石垣石を送り出しました。そして、明治以降には、石材の採掘が本格化し、東京の日本銀行本店、靖国神社大鳥居、三越本店、日本橋をはじめ、多くの構築物に北木石が使用されています。昔から品質の良い大きな石が採れることで定評があり、海運を利用した物流も発達していたことから、国内の道路が整備される以前から、全国的に販路が広がっていました。
かつては、北木島には、127箇所の採石場がありましたが、安価な外国材や他産地の国内材が入ってくるようになり、現在は、「中目」「瀬戸」それぞれ1社ずつが採掘継承しています。その中でも、「中目」の歴史の方がより古く、明治中期から昭和初期の戦前にかけて、著名人の墓や、多くの歴史的建造物に用いられました。しかし、昭和中期〜後期には、石不足のために山肌近くの荒石が墓石材として全国に出回ってしまったことで、一時期評判を落としてしまったこともあります(鉄分を多く含有していたため、サビによる変色や風化しやすい石材が出回ってしまったのです)。全国各地の墓地や霊園に、北木石の、赤く変色した墓石が多いのはそのためです。
断層により、比較的に大きな固まりとして誕生したため(北木島全体が花崗岩です)、結晶化合体の分布状態は均一です(マグマにかかる力が平均していたのだといわれています)。また、節理が発達しており、石の目がよく通っているので、長尺材が切り出せます(長さ10メートル以上)。石に粘りがあるため、ノミをよく受けつけ、加工性が良いという特徴があります。まだ現代のような加工技術が発達していなかった頃は、細粒で硬い他産地の石材に比べて、石工の方々によく好まれていました。やがて、硬い石の方が吸水率が低く経年変化も少ないということから、現在では、一般墓石の主流からは外れていますが、墓相においては今でも不動の地位を確立しています。見掛比重 2.62t/m2。吸水率 0.32%。