
鉄平石(てっぺいせき)は、輝石安山岩のうち、薄板状に砕石されやすいものを指しています。牛山鉄平石、有賀鉄平石、佐久鉄平石など、さまざまな名称の鉄平石がありますが、単に鉄平石と呼んだ場合、長野県の諏訪・佐久地方に分布する鉄平石を総称して呼ばれることが多いようです。信州鉄平石、信州真石と呼ばれることもあります。「鉄平石」の名は、「鉄のように硬く平ら」という意味で明治期に名付けられました。
建築用の内装外装用石材として、3cm程度の暑さに剥離された鉄平石が広く利用されています。その形状は、ランダムな形の「乱形」、四辺が加工された「方形」、棒状に加工された「小端」、等に大きく分類されます。色は青みがかった濃いグレーが基調ですが、アズキ色の模様のある石面のものや、緑がかったものも採掘されます。石質は硬く、耐火性、耐重性、耐侯性、耐酸性に優れています。
鉄平石は、諏訪地方が全国一の産出量を誇っていますが、発見されたのは江戸時代で、明治時代にかけては、諏訪地方を中心に、主として民家の屋根材として利用されました。鉄平石は重く、運搬して実際に建築に使用するには労働力がかかるため、屋根に鉄平石を用いることは一種のステータスとされ、武家屋敷の屋根にも使用されました。そして、諏訪特有の強風でも飛ばされず、瓦より積雪に強いことから、次第に鉄平石の屋根は普及しました。しかし、重く運搬が困難であることから、明治38年に上諏訪駅が開設されるまで、諏訪地方の外に鉄平石の文化が広まることはあまりありませんでした。
その後、昭和に入ってから一般住宅の装飾にも使用されるようになり、戦前までは庭・玄関先の敷石、U字溝の蓋、和風建築物の壁床材等に使用されていましたが、現在では公園や河川敷の歩道材・壁材のほか、広く建築物にも和洋を問わず利用されています。
墓に使用する場合、墓石や外柵ではなく、墓所内の敷石に使用するなど、デザイン墓の一部によく使用されます。とくに赤味を帯びたサビ鉄平石は、洋風のデザイン墓に合います。鉄平石は時間が経つほど場になじみやすく、微妙な天然の色合いでひとつとして同じものはないため、個性的なデザイン墓への利用に人気があります。