
来待石(きまちいし)は、島根県の宍道町来待地区で産出される石材で、1,400万年前の地殻変動・風化した火山成岩石の堆積により形成された凝灰質砂岩です。古くは古墳時代から石棺に使用され、中世時代は石仏、石塔、近世時代は墓石、釉薬(石州瓦の上薬。来待石を粉にしたもの)、建材、灯篭、かまど、石臼、棟石などに使用されていました。江戸時代には、来待石の品質を気にいった松江藩が「御止石(おとめいし)」として藩への持ち出しを禁じたほど珍重され、松江城そのものや城下町のいたるところで来待石が使用されています。来待石を使用した「出雲灯篭」は、奈良・平安時代からつくられはじめ、千利休をはじめとする多くの茶人に愛されてきましたが、昭和51年には、石工品としてはじめて通産大臣より伝統的工芸品として指定をうけ、広く知られるようになりました。平成8年には、来待石の採石場跡地にモニュメント・ミュージアム「来待ストーン」がオープンし、来待石について体験的に学べる施設となっています。
来待石が採掘される凝灰質砂岩の層はとても厚く、島根県宍道町来待地区は、世界でもまれなほどの埋蔵地帯でもあります。地場産業の原料として使用され、今後も地域に愛され続けていく石材です。
砂岩であることから、石質が柔らかく、切り出しも加工もしやすいという特長があります。中〜粗粒の砂岩ですが、中粒の箇所が採石対象になっています。まれに化石もみつかります。切り出した直後は灰色がかった色調ですが、短い期間で黄褐色になり、少し朽ちた感じの古めいた風情ある外観になっていきます。苔も付きやすく、日本庭園には欠かせない素材のひとつとなっています。
墓石としても同様に、ほかの硬質の花崗岩で建立される墓石よりも風化が速いのですが、決して難点ではなく、比較的早い段階で風合い・貫禄のある墓石に変化していく良さがあります。また、角がとれて風化していくことは、無縁仏などになった場合、墓そのものも土に返ってゆける期待が持てるということでもあり、その安心感は、来待石を墓石として使用する際のメリットとして、今後注目されることが予測できます。