洗骨葬とは、土葬の風習のあるところで、一旦土葬した遺体を行ってい期間が過ぎたあと取り出し、骨を洗って洗い移しなおす儀式で、日本では沖縄の一部に残されています。洗骨葬の風習は、中国、北米先住民、アフリカ、インド洋諸国、東南アジア、オセアニアにも広く分布していると言われます。
洗骨の理由には、様々な説がありますが、一般的には、死者を一時埋葬しただけでは、死霊のままで、、これは子孫に悪弊を招く危険なものだから、洗骨葬をして第二の葬儀を行うことで、子孫に幸福と豊穣をもたらす祖霊に昇華すると考えられています。
かつて沖縄では、沖縄諸島全域にわたって行われていたと言いますが、今では一部離島に残されるのみとなりました。沖縄での洗骨の意味は、洗骨されないうちは、死者は穢れていて、神仏の前に出られないという信仰によるとされていますが、この他にも様々な説があります。
沖縄の与論島では当初、共同墓地で風葬にするのが習慣でしたが、明治に入ってから鹿児島県が風葬を禁じ、風葬した場合は、死体遺棄罪に該当するといったところから、止むなく一旦土葬したあと、一定期間を経た後、洗骨するように切り替えたと伝えられていますが、それは与論島だけのことだったのか、それ以前は洗骨の風習はなかったのかなどさまざまな疑問が浮かびます。これは専門家の研究や書物の任せるとして、では沖縄の洗骨葬とはどのようにして行われたのでしょうか。沖縄でも、地区や島によって、様々なやり方が行われていたようですが、沖縄本島では、土葬したあと、3−7年目の七夕に洗骨が行われたと言われます。
洗骨の日は、故人の関係者があつまり、まず男が、土葬した棺を取り出します。男はその場をさり、女が棺の蓋を開け、より近い肉親が頭を取り出し、骨についている皮をはがしながら、洗うのだそうです。洗うのは水や、焼酎などが使われます。3年以上も経てば遺体は白骨化していますが、希に肉が一部骨に付着している場合があり、この場合は肉を削ぎ落とします。遺体がこの作業に当たる女性の親などの場合は問題はありませんが、自分の子供だったりすると、それは残酷です。墓を開く前に香を焚き、洗骨中は、骨が天日に当たるのを避けるため、傘をさしたり、幕を貼ったりして行われます。洗骨が終わると骨は甕に収められ供物を添えて、一連の儀式を終わります。骨を収めた甕の置き場所にはそれぞれ序列があるのでそのルールに従って収められます。
衛生上の理由から、夏はこれを行わないという期間もありましたが、なにより女性がこれを忌み嫌う傾向が強く、戦後火葬が増えてきたこともあって、次第にその数は少なくなっています。しかし、一部にはこれを存続しようという立場の人も多く、完全に姿を消すまでには、まだ時間がかかりそうです。洗骨が終わったあとは、宴会が開かれますが、飲むのは男性だけで、女性は準備、接待、後片付けのすべてを行わなけれならず、女性にとっては厳しく残酷な行事になります。女性解放の意味からも、火葬が普及するにつれ、洗骨の風習は姿を消していきましたが、離島の一部では現在も洗骨葬が行われているところがあるそうです。
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