故人の霊を弔うために決められた年数により年忌法要が行われますが、三十三回忌または五十回忌を最後として、これ以上年忌を行わないことを弔い上げといいます。
これは、両親などが亡くなり、33年も経つと、その子供も高齢となって、年忌を続けることが難しくなるところから、これを区切りとして年忌を打ち切ることをいいます。33年、場合によっては50年を区切りとするところもありますが、宗派を問わず規制を設けているところはありません。
五十回忌の場合は、法事というよりも慶事と位置づけるところもあり、お祝いとして賑やかにするところもあります。
参会者への食事の振る舞い、住職へのお布施も、普段の年忌よりは多めに用意するところもありますが、近年ではむしろ簡素の方向に向かっているところもあります。
地域によっては、五十回忌の際、墓石を倒して、無縁仏にするというところもありますが、これは極端な例としても、仏壇から、位牌を片付け、以後は先祖の霊として祀るというところもあります。
仏教では、亡くなって33年経つとどんな罪を犯した人でも、無罪放免となって極楽浄土に行けるという考え方がありますが、このことから、亡くなった人は、個性を失いご先祖様として信奉されるようになります。
このため弔い上げをした場合は、今後年忌法要はしないのでお寺に永代供養をお願いすることになります。永代供養をする場合はお寺に永代供養料を収めます。永代供養料は寺によりまちまちなので住職に相談する場合もあります。
ただ、弔い上げは、一般の人の場合であって、功績のあった仏教関係者の場合は、500回忌、700回忌など気が遠くなるほど長く続いているケースもあります。
弔い上げを重く見るか、軽く見るかは、その家の判断で、こうしなければいけないという決まりはありません。
例えば、弔い上げと、友人の結婚式の日程が重なった場合、どちらを優先するかといった選択を迫られることがあります。弔い上げを優先すれば、友人に義理を欠くことになるし、結婚式を優先すれば、当日集まってくる、親戚縁者に顔向けができないといった板挟みになるケースはよくあることです。
結婚式と弔い上げの微妙な時間のズレを利用して、両方に顔を出すという苦肉の策を取る人もいますが、これにもいろいろな意見があります。
まず、仏事とおめでたい結婚式を一緒に考えるのはけしからんと言う意見です。これは結婚式という慶事に対して失礼だという考え方です。
でも弔い上げは普通の年季と違って慶事なので両方に顔を出しても失礼ではないという言い方をする人もいます。
また、故人のことをよく知らない人が増えている中で、無理に付き合うことはない、新しい人生のスタートを切る若い二人への祝福を優先すべきだという意見もあります。
一概にどちらが正しいと言い切れる問題ではありませんから、あまり深刻に考えず、ケースバイケースでおおらかに考えるのが正解ではないでしょうか。
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